アメリカで存在感を増す『ストーリーテリング職』─ “語れる企業”が選ばれる理由
2025年のアメリカの労働市場は冷え込んだ状態が続きました。テック業界を中心に採用は抑制され、「次に削られるのはどの職種か」という空気が漂っています。そんな状況の中で、逆に需要を伸ばしている仕事があります。今アメリカで注目を集めている職種、それが「ストーリーテリング職」です。
ストーリーテリング職とは?
「ストーリーテラー」という言葉は、本来、物語を語る人を意味します。
小説家や脚本家、世にも奇妙な物語を語る男性を思い浮かべる方もいるでしょう。一方で、ビジネスの文脈で使われるストーリーテラーは、企業理念やブランドの価値、事業のビジョンを整理し、それを社内外に浸透させていく役割を担います。職種としては、広報、マーケティング、ブランディングに近い位置づけと言えます。
実際、企業によってはこの役割を「ストーリーテラー」とは呼ばず、より華やかな名称で「メディアリレーションズ・マネージャー」としているケースもあります。呼び方は違っても、共通しているのは情報をそのまま出すのではなく、「なぜそれが重要なのか」を説明する役割であるという点です。
業務内容は幅広く、企業のブログやSNSコンテンツ、ダイレクトメール、各種原稿の執筆に加え、経営層のメッセージを整理し、対外発信として成立させることも含まれます。この点で、ストーリーテラーはコピーライターとは異なります。コピーライターが言葉の表現や訴求力に重点を置くのに対し、ストーリーテラーは「何を、なぜ、どの順序で語るのか」という構造そのものを設計します。そのため、実務ではたとえばサイバーセキュリティ技術者のように専門領域を理解し、コミュニケーターとして相手に合わせて翻訳し、マーケターとしてブランド価値を意識するという、複合的な視点が求められます。
米軍関係者向け金融サービス企業USAAでは、会員とのつながりを深めるために、ブログやレポート、スクリプトを書くストーリーテラーを配置しています。USAAのペイン氏は、この役割を「単なるコピーライター以上の存在」と表現しています。「会員のために、状況や体験、そして私たちが提唱すべき機会を、真に“生き生きと”描き出す役割なのです」。実際に、メンタルヘルス給付のガイド作成や、実体験を盛り込んだ経営幹部のスピーチ支援など、ストーリーテラーは企業と人をつなぐ重要な役割を果たしています。
なぜ今、ストーリーテリングなのか?
今、ストーリーテリングが注目されている理由の一つには、企業コミュニケーションの前提そのものの変化があります。新聞やテレビといった従来型メディアの影響力は相対的に低下し、企業が第三者に語ってもらえる“アーンドメディア”の機会は減少しました。その一方で、企業が顧客、消費者、投資家、採用候補者と直接向き合う場面は増えています。
この環境下では、単に情報を出すだけでは不十分です。断片的な発信を積み重ねても、企業の価値や方向性は伝わりません。必要なのは、一貫した文脈です。だからこそ、企業ウェブサイトやソーシャルメディア、ポッドキャストといったブランドコンテンツを通じて、企業自身が物語を設計する必要が生まれています。逆に、自社で発信できる手段を持ちながら何も語らないことは、コミュニケーションを疎かにしていると捉えられるリスクがあります。
さらに、AIの普及によって「当たり障りのないそれなりの文章」は誰でも作れるようになりました。効率的に文章を生成できる時代だからこそ、経験や判断の背景を含んだ、人間味のある語りへの価値は相対的に高まっています。ストーリーテリングが今あらためて注目されているのは、こうした複合的な変化の結果と言えるでしょう。
ストーリーテラーに求められることとは
ストーリーテリング職に求められる最も重要な力は、企業の取り組みを「意味のある文脈」として伝えることです。顧客獲得や長期的な成長を考えるうえで、製品やサービスの機能説明だけでは不十分になっています。企業が何をしようとしているのか、なぜその取り組みが存在するのかを、一貫した物語として語れるかどうかが、ブランドの信頼性を左右します。
優れたストーリーテラーは、ブランドを深く理解し、顧客の体験や課題を起点に物語を組み立てます。企業が伝えたい価値や機会を、抽象論ではなく具体的な状況としてリアルに描き出すことで、共感と信頼を生み出します。自社ウェブサイト、メディア露出、YouTube、LinkedIn、顧客向けのDMなど、発信チャネルが変わっても、語られる本質がぶれないことが重要です。
同時に、ストーリーテリングは対外発信だけのスキルではありません。企業はもはや、データを分析できるだけの人やプロジェクトを管理できるだけの人材を求めているわけではなく、「自分たちは何をしていて、それがなぜ重要なのか」を社内でも説明できる人を求めています。データや計画を背景や意図とともに語ることで、上層部の理解と納得を得る、その意味でストーリーテリングはマーケティング職のみならず、どんなポジションにおいても日常業務の中で必要なスキルとなりつつあります。
ストーリーテリング職の採用状況と展望
LinkedInのデータによれば、「ストーリーテラー」という言葉を含む求人は、この1年間で倍増しています。
実際、企業の幹部が決算説明会や投資家向けイベントで「ストーリーテラー」「ストーリーテリング」という言葉を使う頻度も増加傾向にあります。ある分析では、2025年12月11日までの期間で469回も使われており、これは前年通年の359回、そして10年前の147回と比べても大きな伸びです。この変化は、単に表現が流行しているだけでなく、企業文化やコミュニケーション戦略の重心が変わってきたことを示唆しています。
採用の具体例にも、この変化は反映されています。コンプライアンス・テクノロジー企業Vantaが、ストーリーテリング専門の責任者ポジションを年俸最大27万4,000ドル(約4,300万円)という高額報酬で募集しているほか、業務管理アプリのNotionは広報とSNS・インフルエンサー施策を統合した10人規模の『ストーリーテリングチーム』を立ち上げました。
ストーリーテリング職の台頭は、長年、効率や数値成果を最優先してきたマーケティング方針への反動のように見えます。短期的なKPIやROIを追うことが常態化する中で、「なぜその施策を行うのか」「その成果はどんな価値につながるのか」といった文脈が軽視されてきた側面は否めません。ストーリーテリングへの再注目は、企業があらためて“意味”や“背景”を語ろうとしている動きとも言えるでしょう。
同時にこれは、AI時代における仕事の価値の変化を示しています。AIは文章生成や分析を効率化しますが、何を語り、どこに重みを置き、経験をどう物語として編み直すかという判断は、最終的には人間に委ねられます。AIに仕事を奪われる職種がある一方で、AIによって価値が再定義され、むしろ重要性が増す職種もある。ストーリーテリングは、その代表例と言えるでしょう。